どんぐり倶楽部どんぐりポケット

どんぐり子育てや自然遊び、感味力の素晴らしさ、REI先生のひとりごとなどのんびり書いてます

ーちょっと小話②ー

ちょっと小話②

 


前回のちょっと小話では小学生の頃をメインにお話ししましたね。今回は中学時代。思春期真っ只中ですね〜

そんな中学時代をちょっとだけ。 

 

中学入学してすぐにソフトボール部に所属し、真っ黒になりながら白球を追いかけました。毎日朝練のために6時には起きて朝ごはんを食べる。目覚ましは自分でセットして起きるので母から起こされることはほぼありませんでした。もちろん起きれなくて遅刻寸前でも母から起こされることはなかったと記憶しています。なので母は私が起きても起きなくても5時には起きて朝食を用意してくれます。体にいいもの、体が大きくなるようにと満足になるまで食べさせてもらいました。母の出勤時間はまだまだ先だし、そのほかの家族は誰一人起きていなし、仕事も大変なのに毎日毎日朝食を作ってくれました。本当に感謝です。

実は当時の私は母に対して感謝の感情はありませんでした。当たり前に朝食を食べて朝練へ向かっていました。なぜかというと母の大変そうな顔を一度も見たことがなかったんです。まあ、私自身も毎日の練習に必死でほかのことを考える余裕がなかったんだとも思います。そして、土日になると試合が続きいろんなところへ遠征に出掛けました。遠征へ行くたびに高速道路が苦手な母も車を運転して試合観戦に来てくれました。私が試合に出る日出ない日に関係なく。試合に勝っても負けても同じように応援してくれました。この時に学んだことは、試合に出てるから偉いとか試合に勝ったから偉いとかではなく、自分のやりたいことを楽しんで自分のできることを精一杯するということ。そして、自分のことは自分でする(特に自分で起きる)こと。

 

そして中学3年に上がる頃に私はソフトボール部を辞めました。辞めると決めた時に母は詳しい理由を聞かず快諾しました。

ここから私は学校を休みがちになります。

自分で決めて部活を辞めたのだから気持ち的に学校に行きにくくなります。休みがちになり、どうしていいか分からないくらい悩んでました。学校を休んで家にいることも嫌になり怒りやすく八つ当たりも多かったです。

ある時、学校を休む理由を担任に電話する父を見て「学校なんて辞めれないし行けばいいんでしょ‼︎」と言ったことがあります。たった一言。つい口走ってしまった一言が私の人生で初めて父に怒られる日になるとは思っていませんでした。

言ってしまった瞬間に父から「教育委員会に電話して小卒にしてもらうから今日から学校には行けないからな」と言われたのを覚えています。そこからは必死にかなり必死に謝って前言撤回させてもらいました。

自分の言動に責任を持つ覚悟はどういうことかのかを知ったのはこの瞬間です。自分の言動を他人任せにせず、自分で決めたことに責任を持つ。この日から今までそしてこれからも大切な礎として記憶として私の芯を支えるエピソードになることでしょう。

 

そんなおてんばな私はもちろん高校でもいろいろあったのでその話はまた今度にしますね。

 

 

どんぐりを通して出会う方々からは、どんぐり先生の娘さんだから〜と特別な目で見られることも多く、正直嫌だなと感じていた部分もありましたがどんぐり先生の娘だからできた経験をなるべく伝えていこうと思います。でも忘れないでほしいのは、私も皆さんのお子さんと同じようにわがままで両親を困らせることや悔しい思い、どうしていいか分からない情緒不安定な時期がたくさんあったということです。

そして今どんぐりが素晴らしいと思えるのは、父の真っ直ぐな信念と母の子どもを信じる底なしの愛情だと痛感しています。

両親、そして兄妹に心より感謝します。


Rei