どんぐり倶楽部どんぐりポケット

どんぐり子育てや自然遊び、感味力の素晴らしさ、REI先生のひとりごとなどのんびり書いてます

〜通信部って何? 第五弾〜

私は彼女に寄り添えているのかな。
寄り添いたいと思う一方的な気持ちは誰でも持てるけれど、本当に寄り添っているかどうかは相手が受け入れてこそ成立するものだと思っています。
だから、ありがとうございます
私の「寄り添いたい、味方になりたい」の思いを受け止め受け入れてくださったお母さんと彼女に感謝します。
これからも子ども達のことをお願いします。

 

私の通信部を少しでも可視化するために現在通信部を利用してくださっている方々に協力をお願いしました

通信部ってなんだろうと思っている方の何かしらのお力になれたら良いな

下記、個人が特定されないように編集してあります

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・どんぐり歴
 2022.08〜現在。娘が年長の夏から、現在新小2。

REI先生の通信部って何がいいの? どういいの?
 他の先生の通信部を受けたことがないのですが、そこを差し引いても200点満点と思ってお世話になっております。
 一つは、圧倒的に子どもに寄り添ってくださること。待つ、聞く、共感する、を徹底してしてくださいます。
 学校から疲れて帰ってきて、切り替えができない時も、「今日はそういう日だ」と待つ。電話口で娘の様子を察知して、おしゃべりが始まればそれに楽しく付き合う。でも、問題中に、描かない、決めつける、粗末に扱うなどの行為が見られればはっきりとおっしゃってくださいます。
 通信ならではの一対一スタイルだからこそ、娘にもれい先生のその姿勢が伝わるのでしょう。動き回ったり、集中力が途切れることも多かった年長時代から、現在も落ち着きのなさはありますが、れい先生が待ってきてくださったおかげで、娘はれい先生に絶大な信頼を寄せています。

・なんで通信部を利用しているの?
 REI先生にお世話になりたいから。
 どんぐりを始めた当初は熊本に住んでおり、その後引っ越しでバンコク在住となりました。通信ですと、このような環境の変化があってもれい先生の授業を継続して受けることができます。また現在は時差もあることに加え、日本の学校とは時間や休みの時期も異なります。それらの点も、れい先生に柔軟にご対応いただき、とても助かっています。
 海外からでもどんぐりを受けられるというのは、通信部ならでは大きな利点ではないでしょうか。海外生活の子どもたちは日本で生活する子どもたちと比べ、1日のなかで耳に入る日本語がどうしても減ってしまうという問題を抱えています。算数だけでなく、言葉の持つ幅広い意味、言葉の前後、行間を読むなど、豊かな日本語に触れられるのもどんぐり問題の素晴らしさだと思っていますので、その点でも通信というスタイルで授業を受けられることはとてもありがたいです。
 
REI先生ってどんな人?
 娘にとって「やさしくて、おもしろい、大好きな」れい先生。
 子どもの成長を見守る保護者にとってもとても心強い存在になるはずです。
 私は、娘が小学校一年生に上がる春にバンコクでの生活が始まりました。第一子で、初めての小学校入学に加え、日本人学校ではありますが外国での学校生活。周りにまだ話せる保護者もいないなかで、学校生活の疑問・不安、繰り返しの音読・書き取りといった宿題に対して親としてすべきこと、もちろん娘の成長過程における気になること、本当になんでも聞いてきていただきました。その都度、れい先生が親の私にかけてくださる言葉に救われ、そうだ、子どもの力を信じよう、弱気になった私がまた前を向くことができました。
 親の私にとっては救い主(笑)ですね。

・私たち親子にとって「どんぐり」とは?
 子どもを成長させるのは、日々の小さな積み重ねだということを忘れないようにいさせてくれるのが、どんぐりです。
 どんぐりを始めた当初、娘が「2こずつ」という言葉を理解していないことをどんぐりの問題文を通して知ることがありました。正解を出すには、前提として「2こずつ」がわかっていないといけない問題でした。
 そのとき、娘は5歳。決して難しい言葉でなく、日常の会話で親の私が当たり前に使っている言葉でも娘がわかっていないことがたくさんあるのだと、もしかすると初めて気がついた瞬間だったかもしれません。それだけでなく、私は5年間、自分のペース、基準に娘を引き上げることばかりをしてきてしまったのかもしれない、とも思い、トンカチで頭を殴られたような衝撃。
 当時娘が通っていた幼児生活団(幼稚園)では「生活即教育」という方針で、毎日を丁寧に過ごすことをしているつもりだったのに、それは「丁寧にやりなさい」と私が娘に押し付けてきた「つもり」の生活でしかなかったのかもしれないと、目が覚める気持ちでした。
 どんぐりを通して娘がまだできないこと、娘がわからないことを見つめ、娘の現在地を知ることで、親も目線を下げ、スピードを落とし、自分の毎日を振り返り、ともすれば自分を変えていくことができる。そうしていくうちに子どもの信用を得ることもできる気がします。
 どんぐりでは、正解を出すことが重要ではないことを痛感します。不正解こそ「お宝」なのです。娘にとってもじっくり歩いていける機会になることはもちろんですし、親にとって子どもの現在地を知ることができるわけですから。
 外国で駐在生活を送る娘はよく日本のお友達の保護者の方から「貴重な経験をしているね」と声をかけられます。確かにバンコクは、実にさまざまな人種の人が暮らしているため、多種多様な当たり前があり、それを子どもの時期に目の当たりにできることはよかったと私も思います。
 しかし最も大切なことは、日々の生活のなかにある。どんぐりの時間で例えて言えば、どんぐりを3時から始めるには「自分」は何時から準備をしたらいいのか、今日のおやつは何にするのか、飲み物はどうするのか、問題を解くために使うスケッチブックはどこにしまっておくといいのか、色鉛筆を削っていないとどうなるか、これだけでも子どもがしっかりこなすには簡単ではありません。れい先生との時間は週一回、自宅でもう一回、週2回この時間を見守ることから始めたら、我が子のペース、苦手、好きなどが見えてきます。そして親として手助けをするのか、見守るのか、子どもにとって必要なのはどちらなのか、親として考えられていたのか、と。子どもだけでなく、親も成長していけるはずです。

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心からの守りたい

子どもの心と成長を

そして保護者の乱気流を